河田と出会ったのは、いまから12年ほど前だと思います。そのころ私は無職で暇を持て余しており、毎晩のように10km自転車をこいで友人の家に遊びにいっていました。ある日、その家に見たことのない先客がいて、それが彼女でした。そのときのことは「身振り手振りと声がデカい」くらいしか覚えていないのですが、そこからご縁が続いています。どうやって仲良くなったのかは覚えていません。そもそも仲が良いのかも疑問ですし、考えてみたら友達と言えるのかどうかもはっきりしません。

脚本家としての河田との出会いは、2015年の『黎明の少年』でした。私にとって演劇を含む芸術はただただ楽しみのために触れるものであり、そこに求めるものは真善美とでもいうようなものです。『黎明の少年』は、まさにそれを与えてくれるものでした。ひとりひとりの人間のこころが美しくひかり、遠く離れてかすかに響きあうさまが端正な筆致で描かれていました。現代的なスピード感もあり、ユーモアもあり、それでもとても上品でした。私は終演後、横浜の街をひとり泣きながら帰りました。
(駐車場に着いたら料金が5000円を超えていて、違う意味でも泣きました。)

それから彼女の書くお芝居をなるべく見るようにしていますが、どれも真摯な作品ばかりです。酔っぱらった河田を見ていると、なぜこの人間があのような作品を…と思わざるを得ません。だいたい彼女は酔っ払って大声を出しているし、酔ってないときでもとにかく声がデカい、そして口が悪いのです。

先日、友人とこのようなやりとりをしました。
「河田って前からあんなにへらへらしてたっけ?」
「してたけど最近ひどい。あつこが甘やかすからだ」
「私のせいか」
「あんな兵器みたいなやつを甘やかしてはいけないよ」

甘やかしたと言われるのには心当たりがあります。

「住むところがない、お金もない。あつこさん、もし部屋が余ってたら2ヶ月間貸してくれない?」と聞かれたときに、お人よしの私は真に受けてしまい、しかも悪いことに部屋を余らせていたので、つい貸してしまったのでした。そればかりか、おなかが空いてはかわいそうだとサバの塩焼きをあげたりもしてしまいました。

貸した部屋での河田の暮らしは、私がなんとなく想像していたものとはかけ離れたものでした。まず、彼女はフローリングの床に真っ赤なカーペットを敷き詰め、土足で生活を始めました。カーテンも真っ赤で、その赤さといったら、外の通りから見てもぎょっとするほどでした。新品のソファとエアロバイクを購入して運び込みました。勝手に部屋のカーテンボックスを外しました。私の貸したお布団は、2ヶ月間カバーをしないまま使っていました。しまいには部屋中の壁紙をダマスク柄のものに貼り替えて、役者さんを呼んで撮影をする始末です。これらの全てについて、私は事前にも事後にも一切何も聞かされていないのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

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これを見て私は血の気が引くのを感じました。この部屋がどう見ても我が家だからです。確かに私は「部屋を撮影スタジオにしてはいけないよ」とも、「部屋を改造するなら声をかけてからにしてね」とも、「玄関で靴を脱いでね」とも言いませんでした。(「布団カバーは自分で準備して」とは言いました)

なんとなくモヤモヤしながら過ごしていたところ、彼女のこのツイートが目に入り、私は膝を打ちました。

 

 

 

 

 

 

 

(元リンク先)

なるほど、彼女は「本当に我侭」で、「世界で一番性格が悪い」のです。それならすべて納得で、何も私がモヤモヤする必要はありません。

時をほぼ同じくして、ケータイに友人からメッセージが届きました。

「河田を甘やかさないこと。なにかあったら固いもので叩くように」

これからは河田の言うことは真に受けない。
もう河田には親切にしない。
河田の頼みは聞かない。
河田は固いもので叩く。

そう誓って、いま、「今日中になにか書いてよ」と頼まれた文章を書いています…。

 

ウキヨホテルプロジェクト。この名の下に、いったいどれだけの人が河田にふりまわされるのでしょうか。どれだけの才能が集まって、どこに進んでいくのでしょうか。

舞台の上では、音楽、肉体、光、色彩がどのように絡まりあうのでしょう。時間と空間をねじまげて、どんなところへ連れて行ってくれるのか、私はとても楽しみにしています。

 

取石あつこ
観客。江戸開府400年の記念に上京した、歌舞伎とヘビーメタルがすきな人。